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管理者 が更新を投稿 3週間 2日前
2020年の今年、BTSはDynamiteでもう一段上の高みに上りました。
それまで、ビルボードHot200では出すアルバム一位が当たり前でしたが、
今年は全米シングルチャートHot100ではDynamiteで初の一位、その後3曲連続1位(そのうちの一曲はSavage Loveのリミックス)。この日本でも人気絶頂と思っていたところからのさらなる裾野の広がりを感じています。実際DynamiteからBTSにハマったという新規のファンが多いようです。そんなDynamiteのキラキラした世界とは真反対の裏側にある曲がシュガの「마지막(The Last)」という曲です。私のようなシュガファンにとっては、自明の事であってもBTSファンですらここを通らずにいる方は多いと思います。そして、先ほどの新規のファンにとっては、衝撃的な内容に映るのではないでしょうか?
シュガ自らのうつ病や対人恐怖症の経験を告白した問題作でした。
この曲について韓国の通信社にシュガが答えたインタビューを扱った新聞記事を調べて見ました。
それは、シュガのどんなに成功してもマイペースなところ(塩対応とも言われる。)、弱者や苦しむ者に寄り添う姿勢の原点を探ることが出来ると思ったから。そして、成功するにはポジティブ思考が大切とか、言われるけれど、この曲の中ではすごくネガティブでマイナスの感情を発露しているわけです。そして、「마지막(The Last)」の歌詞で言及される当時の成功の基準が東京ドームだったのですが、その後現実的にはウェンブリースタジアムを始め世界の名だたるスタジアムでのコンサートがプレミアチケットになるようなグローバル大スターにまでなった。巷にあふれる安っぽい成功法則とは真逆のベクトルでもって大成功を実現した。シュガはどう自らの内にある強烈なマイナスの感情と向き合い、処理し、もしくは成功の原動力にしたのか。
以下にその記事を翻訳しました。防弾少年団シュガがうつ病を告白する歌を作った理由
【中央日報】入力2018.02.22 18:31修正2018.02.23 17:51チョン・ウンヘ記者シュガは青少年の頃うつ病・強迫症・対人恐怖症などに苦しめられた記憶がある。音楽をしたいけれど容易ではない環境で、そのために配達のアルバイトをして事故によって肩をケガするという経験をしたこともある。
シュガが製作・無料配布したミックステープには「마지막(The Last)」という曲がある。 「마지막(The Last)」には苦しんだ青少年期を経てアイドルになったシュガが感じる感情がそのまま込められている。
先月28日、聯合ニュースとのインタビューで、シュガは、これについて質問を受けたことがある。記者は「2013年のデビュー時から青少年が持つ夢と現実を直視し、ミックステープ「마지막(The Last)」という曲においも、アイドルスターを夢見ていた時代の現実との乖離感、憂鬱感と強迫症などについて内なる感情を打ち明けた。練習生時代を振り返って不安のエネルギーをどのように克服し、今はその夢のどのくらいまで来たと思いますか?」と訊いた。
シュガは「不安と寂しさは一生、共にいるようだ。それをどのような方法で解き明かして、それに大きな意味を置くということを一生勉強しなければならないと思う」と答えた。
続けて「마지막(The Last)」の歌詞を書いた理由についても言及した。シュガは 「その時の状況や瞬間ごとに感情があまりにも違い、その時々で悩むことこそが人生だと思う。だから、この歌詞を通じて多くの人に“私も同じように不安で、あなたも同じくそのように不安だろうから一緒に探求し勉強してみましょう”という言葉をかけたい」と述べた。
「마지막(The Last)」という歌には、シュガの多少暗い内面が表れている。
♪よく出るアイドルラッパー、その裏側に弱い自分が立っている、少し危険、うつ病、強迫症が時々再びぶり返す、hell no、ひょっとするとそれは俺の素顔のことかもしれない♪
♪たまに俺は自分を恐れて自己嫌悪とまた遊びに来てしまったうつ病のおかげで、すでにミン・ユンギは死んで(俺が殺した)死んだ情熱と、他人と比較するのが俺の日常になって久しい♪
この歌詞のシュガは「夢を成し遂げても、不安定な内面が全て消え失せるのではなく」と言っているようだ。しかし、最近のインタビューを見ると、シュガは良い変化を遂げたようだ。
シュガは「私には夢がなかったことがなかった。その夢を全部成し遂げた。練習生の時には歌手としてデビューし音楽をやる夢があり、デビュー後は1位になるとこ、1位になってからは音楽大賞を受けて日本とアメリカに進出すること。実はビルボードやアメリカンミュージックアワードまでは想像もできなかった遠い話であったが、それらは成し遂げられた」と話した。
そうして「今は以前よりは、明確な夢のために走っている感じはありませんが、最近になって考えが変わった」とし
「人としての価値と幸せも重要だが、それに到達するまではまだ遠かった。歌手として多くのことを成し遂げた昨年は人生のターニングポイントになったみたいだ。まだ私は26歳にしかならないし、デビュー前から数えると音楽活動が10年を超えたが、今後も長くするだろうから」と述べた。